イーギー編5 Luky crook
「オラァ!! それ以上近付いたらこいつぶっ殺すかんな!」
一方、イーギーの元から離れたトトもまた奮闘していた。周囲には足を撃たれて立てなくなっている者、白目をむき完全に気を失っている者が地面に転がっていた。
全てトトがやったものだが、彼は特に秀でた戦闘力を持っているわけではない。
だから上手くいったところまでで籠城を決め込んだ。
踏んで下敷きにした人質に奪ったサーベルを突き立てて、掠め取った銃を敵に向けて威嚇し続ける。
「クソッタレ……これじゃあどっちが悪役だか分かんねぇよ。まぁどうせ悪ぃのはウチの船長だろな。フザケンナ」
戦火の中ですらボヤキは絶えない。
幸い船長同士の戦いが盛り上がってきたのか、ただのムシクイを気にかける者は少なくなった。
無論、それでも人質を取ったトトへの警戒は解かれない。だが圧倒的不利な状況で、この体制を崩すわけにはいかなかった。
(あーあ、何であんな野郎についてきちまったんだろ……)
幾度となく思い、結局今の今まで流れてしまう疑問。だが、彼以外についていく道をトトは知らなかった。
*
的を捉えることが出来なかった氷の綱は、細かく砕けて地面に四散した。
「おうおう、まだ動いてるじゃねぇか」
意外そうに顎を触りながら、船員達が開けた雑な花道をレジナルドが通ってくる。
イーギーにはレジナルド側の船員達が退路を与えないよう円を作って囲い、罵声を浴びせながら剣の先を突き出しては追い立る。
「やっぱり、"魔法"を使えるんじゃな。しかも、見たところ"自然干渉系の上級魔法"。"伝心系の魔法"で部下に指示を出しちょったのも、おんしか」
「ご名答。俺の氷に狙われて一発で捕まえられなかった奴は中々居ないぜ」
「ほぉ、それはお褒めに与り誠に光栄」
"魔法"。それはリヴリー達が持つ不思議な技。
リヴリーには必ず魔法を使うことが出来る力が備わっている。
手元には無い物質の召喚や言葉を発さず気持ちを伝えるテレパシー、自然現象をも操る事が出来た。
「"魔法"は"尊い力"。昔は当たり前に使えた言うけんど、今は使える奴のが少数派。力を持っちょる言うても、全員が使い熟せるわけじゃない。
さっきウチの部下を笑っちょったおんしの部下も、魔法が使えるかどうかは怪かしいな」
「ああ、テメェに出来ねぇことを笑うのは良くないな」
「ほー、案外話の分かる奴じゃな。部下も多いしその上に立つおんしは大層強いし、信頼も厚いんじゃろう」
「褒めたって靡かねぇぞ。旗じゃねぇんだ」
違いに笑みを浮かべ話を交える。
先に動いたのはレジナルド。手には幅広の刀、ファルシオンを構えイーギーの間合いへ飛び込んできた。
服の上からでも分かる鍛えた筋肉の力で地を蹴り、重量感のある刀をサーベルの様に軽く振りかざす。
胸に一線を入れられる寸前、イーギーは後ろに下がってそれを避け、更なる追撃を義手で弾いた。連撃は続き、金属音と火花がほとばしる。
腕力はレジナルドの方が勝っていた。
刃の押し合いでバランスを崩されたイーギーの足が薄く斬られ、更にレジナルドの太い足が腹に入る。
「/coldbreath」
後ろに蹴飛ばされ、バランスを失ったイーギーに向け唱えられた呪文、"自然干渉系"上級魔法"氷の息吹"。それは最初に放たれた地を走る氷柱ではなかった。
まるで凝縮された小さな吹雪。口から噴出した息が白い冷気へと変わり、空気を凍らせる。
蹴飛ばされた瞬間に地面を掻いて慣性を殺したイーギーだが、形のない攻撃は真面に躱しきれない。
触れて熱いと錯覚させる程の低温は、一吸いでもすれば体内から氷結が始めるだろう。
「精々氷河の海に抱かれた気持ちで眠れ」
呼び出された部下が手を出すまでも無い。
義手ではない素の肌に触れた息吹はイーギーの身体を侵食して身の心まで凍らせ、街灯と同じ末路を辿る。
「――はず、だったのぅ」
しかし、背後のニヤつく声で体温が下がったのはレジナルドの方だった。
直ぐ後ろの気配に振り向くも、手中にあったファルシオンは金属音を上げて空に上がる。
「なっ、確かに当たったはず……!!」
「チッチッチ。お兄さん、難しい数式の公式を一つ覚えたばぁで基本を忘れたらいかんでよ」
そこには指を立てて振るイーギーが平然と立っていた。近距離で浴びせた死の息吹は間違いなくイーギーを襲い、今なお霜が体を蝕んでいる筈。
レジナルドは反射的に、背後に現れたイーギーの顔面に一発拳を叩き込む。
しかし、その手応えでさえ空を掻いた。
「こっちじゃ!!」
「グッ!!」
見返りが完了する間も無く、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を右ストレートが打ち抜く。足を踏み込み、力の充填が完了した渾身の殴打。
白目を向いたレジナルドの体躯は部下三人を巻き込み吹き飛ばされた。
船長の仇と斬りかかってきた彼等の部下達は空を飛ぶ。鉄槌の構えを解いたイーギーが義手を薙ぎ払い、引き起こさした旋風によって散り散りに舞い上げたのだ。
そして、無双のイーギーの動きは止まる。
「舐めた事をしてくれるじゃねぇか」
「やき、基本が大事やと言うたじゃろう」
イーギーの死角にレジナルドが立つ。鼻から血を流しながらも、再び手元に戻ったファルシオンの剣先をイーギーの脇腹に充てていた。
一回りも巨体のレジナルドを見上げ、イーギーは表情を変えず返す。義手の爪先はレジナルドの顎下を指している。
「何が『魔法が使えるのか』だ。"分身"なんて何の役に立つのか分からねェ魔法覚えやがって」
「"身体変化魔法"の基本中の基本。使いこなせば便利な技よ」
「残像を残す程度の回避と、水溜りを越える程度の瞬間移動が出来ない事もねぇが、相当シビアなタイミングだぞ!」
「一番初めの"氷の息吹"が本来の形態じゃないこたぁ知っちょった。風に流されやすい息吹は仲間にも害を与えかねん。
やき、ワシが逃げられん体制且つ近距離のタイミングで仕掛けてくると、ちっくと読んでみただけぜよ。読みが当たってラッキーじゃった、なはは!」
(この野郎、半々でも高すぎる確率に賭けたっていうのか。大胆なのか繊細なのか、死に急いでいるのか生き急いでいるのか……)
今尚馬鹿面をして高らかに笑っているが、自分の脇腹の剣への意識と顎下に向けた得物は一切動かさなかった。
「まぁ、魔法をかける対象者の名前が分かっちょったら展開も違っとったかもしれんよ。
イーギーが声を落として言った。
その時、針が心臓を指す様にレジナルドの体に寒気が走る。
「船長! 警備隊の奴等が!」
そこに、レジナルドの船員が街の路地から飛び出してきた。倉庫群の外れで見張り役をしていた者だ。
此処に来るまでに、街の方でアクション映画も驚く逃走劇を繰り広げてきたのだから通報されない方が可笑しいというもの。
間もなくすれば耳に入る靴の踵の音と、海賊だとばれていたなら海軍の船影も現れる事だろう。
「……思ったより遅い到着だな。オイ、一先ずこのゲームはドローだ。ウチの船員を解放しろ」
「意地張りじゃなぁ。ほいだら先に警戒を解いてもらおうか」
流石に、ゲームの難癖程度のいざこざで警備隊や海軍と接触するのは馬鹿らしい。
船長の二人は互いの部下に指示を送り、警備隊が到着する前に陸地から身を引いたのだった。
*
果たしてこの煮詰まらない争いに決着はついたのか。騙されっぱなしのレジナルドの怒りは治まったのか。
「治まってるわけねェだろ」
虎斑の海賊船に戻ったレジナルドは、血痰を海に吐き出しながら船員の質問に答えた。
「警備隊が来たのは仕方なかったすけど、何もこんなにあっさり引かなくても! 仲間まで斬られて、害獣野郎のイカサマ勝ちじゃねぇですか!」
「確かにありゃズル賢い害獣だ。最初から俺達の餌だけを狙って、酒場にくっついてきやがったんだからな。俺のフルネームも知ってたしな」
「ええ!? そりゃ、"心眼"ってやつですか!」
「いや、名前を知るための魔法はまだ存在してない筈だ。"心眼"ですら名前をしらねぇとかけられない。前にも教えたろうが」
『魔法をかける相手の名前が分かっていたら、展開も違っていたかもしれない』
イーギーがそう言ったように、レジナルドがイーギーの
名前。
それは魔法をかけられる側の者にとって、場合によっては最も知られたくない情報。
相手の名前を知っているか否かで、技の威力には絶対的な差がでる。
例えば"氷の息吹"は「目印」を与えない限りタダの息同然で風に流され何処に向かうかも分からない。
しかし、名前という「目印」を与えてやることで、魔力は確実に名前の持ち主へ襲いかかる。
レジナルドが船長の身分であるにも拘わらず、船の外では部下に愛称のレジーと呼ばせている理由がそれである。
魔法を使える敵の海賊や、海軍にでも出くわせば、厄介な事この上ないからだ。
しかし、何故かイーギーはレジナルドの名を知っていた。
ハッタリでもなければ、「お前の名前を知っている」とバラして脅しをかけてきた時点で、勝利の旗はイーギーに上がる。
それどころか、イカサマポーカーが始まってからずっと手綱を握っていたのは彼という事になる。
だが出された椅子に腰を降ろしたレジナルドは、自分事の様に悔しがる部下たちの焦りようとは裏腹、感心している風だった。
「ハハッ、いっそ清々しいな」
「何が可笑しいんですか! 名前を知られちゃ、首を握られたも同然なんじゃないんですか!?」
「そこまで魔法は万能じゃねぇ。攻撃魔法は対象物が視界にねぇと当たらないし。まぁ、奴が実際にそんな高度な魔法を使えるかどうかは知らねぇが」
ゆとりを持って答えるが、下っ端達の一抹の不安は消えていなかった。
其れを見、眉を寄せ、レジナルドは床を足で大きく叩いた。
「まさか、テメェの船長の名前を忘れたなんて言わせねぇぞ。最初に教えてやったろ、条件はお前等も同じだ。闇討ちはいつでも受けて立つってな!」
誰にも引けを取らず、誰よりも威厳を持って周囲の船員達を一喝する。
100人の部下を抱える船長たる者、絶対的な信頼と絶対的強さを誇っていなければならない。
「今夜は無礼講だったしな。海軍の介入は望まねぇ。損害と言やぁ、怪我人と"例の箱"だが――
ジジイが泣いて抵抗するから何かと思えば、鍵は回るがイカレて使えねェし、踏んでも壊れやしない。……そういや鍵はどうした、渡してないだろ」
ふと思い出したように、今夜共に酒場へ連れていたスカーフの船員へ声をかける。
「はい!」といい返事が返ってきたものの、様子がおかしい。ズボンのポケットを裏返し、上着の懐をわしわしと漁って身を捩っている。
そして目が合うと、苦々しくも媚びた笑顔を浮かべて舌を出した。
「……盗られました」
海軍の船の船影も見えない、月の光が溶け込む深夜の航海。
騒がしい一難が去ったものの、一隻の海賊船から鈍い打撃音だけが虚しく響いた。
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