イーギー編4 Luky crook
ランタンでて飾られたワンダーポート、夜の屋台通り。
温かいスープの湯気、虫焼の芳ばしい匂い、人の熱気、騒がしい勧誘の声。
深夜にもかかわらず夜食や酒の肴を求めて数多くの血種のリヴリー達が行きかう通りを、金髪の少年がやっとの思いで抜け出してきた。
「もう、何処に行っちゃったんだろ……。港近くのお店は全部探したし、あと船長が行きそうなところと言えば……」
気の遠くなる思いにニコリはまた溜息を一つ吐く。
陽が下がり始めるころ、赤旗を上げた海賊船からの襲撃をやり過ごしたイーギー海賊団一行もワンダーポートに降り立っていた。
――無論、海賊旗を上げている以上表の港湾には船をつけられないのだが――港島には食料と水の調達の為に来た。
が、此処で船長の悪い癖がまた出た。
イーギーは海の船旅も好きだが、陸の放浪も好きだ。
特に地元島人しか知らないような酒場を探すのが好きらしく、船が陸に近付いた途端船員の声も聞かず一人飛び出して消えてしまうのだ。
更に"ギャンブル"も大好きな船長の事だ。客相手にイカサマゲームを仕掛けて、トラブルを引き起こしてきた事は数知れない。
しかも、それが
それを防ぐため船員の一人がイーギーの監視として付き添おうとするのだが、このようにすぐ撒かれてしまう。
今夜はニコリが付いていこうとしたが、浜に足を付けた時点で目立つあの髪は見えなくなっていた。
なので、マルコを船に残してニコリとトトが船長を捜索中である。
「もう少し路地裏を探してみようか……」
汗を拭いながらも、捜索を諦めず路地を一本奥に入ろうとしたところだ。奥の路地で「ダンッ」と火薬が爆発したような音がした。
近くはない。が、人のざわめきが薄れて音の届く範囲。聴こえた方向は北東、灯台がある反対方向だ。
まさか……。
海賊船に乗ってから、船長に似て勘がよくなっていた。特に、嫌な予感に対してだ。
危険なのは間違いないが、ニコリは音が聴こえた方へ急いで向かった。
*
放たれた銃弾が足元の煉瓦を破壊する。
逃走の際、邪魔になるマントは脱ぎ捨ててイーギーは走っていた。
背後には幾つもの銃口を構えたレジナルド海賊団。更に後ろにはこの港の水夫たちが顔を赤くして追いかけてきていた。
偉丈夫の男達と鬼の形相をした荒くれ共が、舞台俳優の様に派手な一人の男を追う光景は正に異様。
まったく知らない筈の町だが、イーギーは行き止まりに突き当たることなく駆けていた。
イーギーを狙った弾は商店の看板を打ち抜き壁を削る。翻った髪が銃弾を食らうが動きを止めるには至らない。
銃声を聴き、集まった町人達は悲鳴を上げて逃げていく。
その中、逃げ惑う人の波を逆走して一人の少年が目の前に飛び出してきた。
「――あぁッ、船長! って、やっぱり追われてるじゃないですかー!!」
「おお、ニコリがやないか! ほがな所(そんな所)におったら危ないぞっ」
路地から出てきた見覚えのある顔にイーギーは手を振る。
そして追手に驚いてUターンとするニコリを左腕で捕まえ、片腕に担ぎ再び逃げに徹する。
「うわっ、せ、船長! 何なんですかあの人たちは! 何でこんな事に!?」
「馬鹿じゃき馬鹿って言っただけじゃ!」
「それですよー!!」
船長の答えにニコリは顔を青くして叫ぶ。ついでに顔の横を弾丸が飛んで行ったので血の気は更に引いた。
そうこうしている間に住宅街の路地を離れ、直角に右折した先は海の水路を挟む暗い倉庫群。
壁は剥落して汚れだらけで整備されている様子はない。表通りに比べ人気も無く、明かりは錆びだらけの街灯しかない。
時代と共に船が増え大きくなったことで小さな港湾は使われなくなって廃墟となったのだろう。
視線を巡らせて周囲を確認し、石畳にブーツの底を擦らせたイーギーはようやく追手達に向き直る。
レジナルド達は肩を揺らしながらも最後まで喰らいついてきた。更に後ろを追ってきていた水夫達は、途中で脱落したのか誰もついてきてはいなかった。
「しつこいのぉ、こんなボロ箱の一つくらいで! おんし等ぁもイカサマしたじゃろ!」
「うるせぇ!! 箱の一つや二つくれてやる。だが俺達を愚弄したとあっちゃあタダじゃかえせねぇ」
「ほー、じゃあ一体いくらで返してくれるんじゃ?」
余裕の態度を崩さずイーギーは肩を竦める。しかし、レジナルドが浮かべているのも冷笑だった。
その赤い目がイーギーの後ろを見る。
背後には月夜の下に静かな漣立つ海。しかし、晴れていた筈の夜空の月光は雲に隠され当たりを薄暗くする。否、月光を隠したのは雲ではなかった。
廃墟となった港湾に現れたのは巨大なガレオン船。その帆が湾にぶつかるギリギリまでに迫り、イーギー達の頭上を覆わんとしていた。
船首には牙を剥き出しに吼える虎の像、月を隠したマストの先には黒地に髑髏のジョリー・ロジャー。
更に船楼の上を動く無数の黒い影。
「いくら積まれても返すわけねぇだろ。馬鹿が」
現れたのはレジナルドの海賊船。
どうやらイーギー達は彼等の船が停泊しているこの湾港に来るよう追い詰められていたらしい。
「道理で行き止まりに捕まらんわけじゃ。わしの運が良かったわけじゃなかったんじゃのぅ」
ガレオン船を見上げ、余りの大きさに体をふらつかせるイーギーの額にも流石に汗が滲んでいた。
地に降ろされたニコリも愕然と言葉を失う。
「袋のネズミとは正にこの事だ。安心しろ、お前さんの亡骸は俺が丁重に扱ってやる」
背後を向いているイーギーの胸に銃口が向けられる。
馬鹿にされたことが余程頭にきているらしい。今すぐに、即刻に罰を与える為に、銃の引き金は躊躇いなく引かれた。
重い銃声が響く。
しかし放った銃弾はイーギーの足場を撃ち、跳弾した弾があわやレジナルドのクルーに当たるところだった。
引き金は間違いなく引かれた。が、指がかかるより先にレジナルドの腕に何かがぶつかり、軌道は僅かに逸らされたのだ。
その何かは拳大より一回り小さな石ころ。
「チッ! 誰――」
「何してやがる!! この糞ネズミがああああああ!!」
レジナルドの発言と被り、怒気の入った猛りが彼等の頭上から降ってきた。
「ぶぇあッ!」
「トトさん!? 何で空から!!」
視線が空へ集まる。街灯の明かりで正体が見え、表情が明るくなったイーギーの顔面に向かって落ちてきたのは白髪の青年。
ニコリと別れ船長を捜索していたトトが、住宅の天辺から飛び降りイーギーを下敷きに着地した。
「ト、トトぉ! 何しちゅうか、飛び降りるならあこの男の方じゃろう!」
「うっせぇ!! どうせテメェが巻いた種なんだろうが!! 助けてやっただけでもありがたいと思え!!」
「そうじゃな、ありがとう!」
「アホ! 調子に乗るんじゃネェエエ!」
己の船長の上で胸倉を掴み、ガクガクと首を揺らすトトと止めようとするニコリ。
喧騒に置いて行かれ、呆然と様子を眺めることになってしまったレジナルド達だったが、一人の船員がある事に気付いた。
「あの白いのと黄色いの、"ムシクイ"じゃねぇか」
他の船員達の目もイーギーではなく二人の青年たちに向けられる。
「ああ、本当だ、よく見たらそうだ。何だあのピンク頭、ぶははっ、"ムシクイ"に叱られてやがる」
「船長って呼んでたな。アイツらが海賊船のクルーだってのか? "魔法"も使えないってのによお」
「"奴隷"に舐められてちゃあ、船長の威厳も人望も知れるってもんだ!」
一人が腹を抱えて笑いだせば、次々と船員達の声が上がる。向ける目は明らかにものを蔑み見下す目。
その目線に黄色ムシクイのニコリはイーギーに身を寄せ、白ムシクイのトトは苛立たしそうに男達を睨んだ。
――ムシクイはリヴリーと同じくアグリゲートに存在する血種の一つで、ミニリヴリー人種に属する。
特にムシクイはぱっと見リヴリーと見分けがつかず、「リヴリー」と名が付くものの、体質はリヴリーと全く異なるという事が研究によって発表されている。
雑食のリヴリーと違い虫だけを食し、食べた虫によって毛質や毛色が変わることも無い。
そして、リヴリーには生まれつき備わっている"魔法の力"を持たない。尚且つ魔法の影響も受けなかった。
創世のリヴリーとミニリヴリーはほぼ同時に生まれ共に暮らしていた。が、リヴリーの数が爆発的に増え始めたことによってミニリヴリー人種は追いやられ始める。
ムシクイの事はいつしか「虫を食べるしか能が無い」差別用語に変わり、彼等は奴隷と化してリヴリーに飼われる存在になった。
リヴリーの所有物、"アイテム人種"という呼び方もその頃出てきた物だ。
そのムシクイ血種であるのが今此処に居るトトとニコリ。船に残っている筈のマルコも赤ムシクイという種類だった。
「はぁ……何も知らん毒され共が」
「は?」
低く溜息を落とし、服の埃を落としながらイーギーは立ち上がった。
「ニコリ、先に船に戻ってマルコと海に出ちょってくれんか。おんしなら迷わず帰れるじゃろ」
「わ、分かりました。でも、僕が残っても出来る事はありませんが、二人だけで大丈夫ですか? せめてマルコさんを呼んで」
「なんちゃあない」
逆光で陰っている顔を心配そうにニコリが尋ねた。その向日葵のように黄色い髪に掌が伸ばされ、ぐしぐしと撫でられる。
薄い笑みを湛えてイーギーが言った。訛りが強いが、ニコリが海に出てから何度も言われた言葉だ。
後ろにはガレオン船と、続々と陸へ上がってくる無数の海賊。だが、自分の船長が「大丈夫だ」と言う。船長を信じて指示に従うのが船員の役目だ。
「僕もなんちゃあないですからね! 船長!」
ニコリは大きく頷き、倉庫群の抜け道へ向かい走り出した。
「あっ、待ちやがれ!!」
逃げ出したニコリを銃弾が追う。
が、ニコリを狙った鉛弾は「ガチン!」と音を響かせあらぬ方向へ弾き飛ぶ。
「イカンでよ、背を向けた相手に撃つんは」
建物の陰に消えていく影を守るよう、銃口の前に出たイーギーが右腕の義手を構えていた。
酒場で確認した時も、走って逃げている時でさえ動いていなかった金の義手。銃弾を弾いたにも関わらず、義手には塗装が欠けた跡も傷も無い。
「やっぱり只の飾りモンじゃねぇみたいだな。オメェ等気をつけろ」
「へい!」と船員たちはいきり立ち武器を構える。
しかし、レジナルドが注視したのは義手が動いた事ではなく、咄嗟に撃たれた銃弾の間に割り込んだイーギーの速さ。
少なくとも、いたずらに海賊を名乗り遊覧してきたわけではない。
「おいっ、いつも言ってるけどよ、言われた俺等より怒ってんじゃねーぞ。それで冷静じゃなくなんなら」
再びイーギーの元に駆け寄って来たトトが言う。
ムシクイの話になった時、明らかに様子が変化したイーギーを注意しに来たつもりだった。が、表情を見たところで思わずビクリと身を引かせた。
イーギーは頬を染め、破顔していた。
「んも〜、ニコリが『なんちゃあない』じゃってー! 真似しちゃって、超可愛い〜」
「キメェ!! アホか、ちゃんと集中しろ冗談抜きで死ぬぞ!! あとテメェ俺を巻き込んでる事忘れんなよ!!」
「おう、わかっちょる。ほら、来たでよ」
「うぉ!?」
振り返れば、得物を手に取った海賊達が襲ってくる寸前。
トトはその場から飛び引き、振りかざされた剣の切っ先をイーギーが右手で振り払った。
そして勢いを殺さぬまま片足を踏み込み、腕を逆に降りかえす。脇に義手の強打を受けた敵は隣の仲間を巻き込んで倒れ込んだ。
目の前の二人の陰に隠れて迫ってきた一人にも、華麗な空中回し蹴りを頭蓋に喰らわせ吹き飛ばす。
「ハッハァ! これじゃこれじゃあ!!」
腰に手を当て、さも楽しそうに高笑うイーギー。
戦いを愉しむように嬉々とした表情に向かってきていた海賊たちが怯むが、瞬時に殺気に変わる。
「ほーお、船長と仲間の名誉挽回の為に姿勢を崩さんか。悪ぅない海賊団じゃ」
関心した後、ぐっと両手をつくほど身を屈めたイーギーの頭上を銃弾が交差していく。
間を置かず隙をついて狙ってくる海賊達の姿を捉え、体制を低くしたまま前に突っ込む。横に凪いだ義手の爪は海賊たちの腹を裂き、血潮が弾けた。
一縷の迷いなく、ためらいなく。
「怯むな殺せ!! 敵はたったの二人!!」
己の士気を上げる為船長のレジナルドが吼え、船員達が一斉にが猛る。
周囲を囲われ、続々と切り出される斬撃と射撃にも対応していくイーギー。その手足はまるで踊る様に跳ねる様に足軽に動く。
大振りで無駄な動きが多いようみ見えるが、右目の死角からの攻撃でさえ読んで避けてみせた。
「糞ッ、当たってねェ! 死角の筈だ!!」
「あんなに重そうな物ぶら下げて、何て速さで動きやがる!」
「武器を変えろ! お前等は前へ!」
イーギーの素早さに惑うレジナルドの船員達。
だが、イーギーは気付き始めていた。合わせて50は居るだろう船員達の動きは、ただ闇雲に動いているわけではない。
確実にイーギーの視界を見え辛くして隙をつく、そして眼帯をしている右目の死角を執拗に狙い撃ってくる。一定の統率があって行動しているようだ。
余程チームワークがいいのか訓練されているのか、それもあるとしてもう一つの可能性があった。
その可能性の証明。イーギーが転ばせようと狙ってきた足払いを飛んで避けようとした時、一斉に船員達が動きを止めた。
刹那にその船員たちの間を縫い、白い閃光がイーギーに向かってきた。
水蒸気、いや、白い冷気を放ちながら裂け上がった氷の道が蛇の様に地を這ってくる。
咄嗟に反応したイーギーは、地面に着地する寸前にリーチの長い義手の爪を先に突き立てた。
着地地点を捉えていた氷の道は、爪に当たると一気に凍結させていく。凍結範囲の浅い内に義手を捻り、氷を割って脱出したイーギーを尚も追う氷。
街灯の後ろに回り込めば、盾になった街灯は全て青い氷に覆われてしまった。
「ようよう(やっと)来たか!」
よろめきながら足を止め、氷の道の先を見る。
船員に隠れたその先。其処には口元から冷気を漏らし、悔しげだが口を吊り上げて笑うレジナルドの姿があった。
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