荒れた威勢を張る声、煙の臭い、酒の臭いに金の臭い。
夜の酒場。野郎共は橙色のランタンの下、並べられた四つのマークを見下ろして、奴は無造作に賭けの山を掴んでいく。
真っ赤なジュストコール、右目の眼帯、左利きの野郎は右手が黄金の義手、そして妙な話し方にへつらった顔。
そいつが見の前に座ってきたら気をつけろ。お前はそいつにとっての良いカモだ。帰りの足跡に気づいてももう遅い。そいつはすでに海の上。


好きなものは酒と女と、共に旅する海と風。

気ままな船旅こそ海賊の嗜み。




イーギー編1 Luky crook





風に乗り、流れるは白い雲と波。すべるように舞うのは海鳥。
空の青と海の青が水平線で交わる果てない世界。

その青の海上を、白い引き波を立てながら一隻の船が進んでいた。
年季の入ったキャラベル船。速度と操舵性に優れ、船体には立派なマストが3本そびえている。
胸を張る様に広がる三角帆が大海原の風をめい一杯受け止めていた。
船首部にはヴェールを纏った美女の船首像が取り付けられており、「Venus」と名が刻まれていた。

街人の喧騒も、鐘の音の様な人工物の音も無い。あるとすれば、帆のはためく音と木の軋む音くらいだった。

しかし、そんな平穏な船旅も一人の男のせいでブチ壊されていた。
寝椅子も出さず甲板に転がり、五月蝿いイビキをあげ続ける男。その傍ら、横に立って男を見下ろしている白髪の青年の機嫌は見るからに不機嫌だった。
舵も見張りも自分達にまかせっきりで、野郎は暢気に居眠りとはどういう了見か。
デッキ中に響く耳障りな寝息に、いい加減嫌気がさした。


「いつまで寝てんだ、この糞ネズミ!!」


神経がが断ち切られるような音がして、白髪の青年は鉄槌の如く厚い革靴の底を男の腹に振り下ろした。
その足蹴をもろに受けた男は、「ぐえっ!」と呻り腹を押さえて床を転がっていった。


「ひくせったぁ! 何するき!?」
「何すんだよじゃねぇよ! 朝起きてまた寝て何時間経ったと思ってやがる! 日が暮れちまうぞ!!」
「だからって腹蹴るこたぁないじゃろ」
「自業自得だ! 上まででけぇイビキが聞こえて迷惑なんだよ!!」
「まぁまぁ、短気は損気っていうき。トトは優しい子じゃ、ワシがよう知っちょう」
「うるせぇ! 海に突き落すぞ!! ちったあ船長らしくしやがれっ!!」


白髪の少年――トトが怒鳴り声をまき散らし、顔を真っ赤にしたまま見張り台へ戻って行ってしまった。
その背を、身を起こし見送る男はやれやれと頭を掻いて伸びをする。
しかし、程よい風は子守唄の様で、彼にとってはひと肌よりも身近で心地良く、ついつい昼寝に興じてしまうのだ。


男の髪は一際目立つ長い薔薇色で、先の尖った耳が隙間から突き出している。背で揺れる"トビネズミ"の尻尾も同じ色だ。
擦った左目は明るい空色の瞳。右目は黒い眼帯で覆われていた。その下は隠しきれないほどの大きな縫い傷が縦に走っており、左目よりも断然目立っていた。
身形は裸足に穴の開いた赤茶のズボンに白のシャツ。そのシャツの右袖は風に靡いて揺れており、肩から右腕が無い事を証明していた。

トトが指摘した通り、威厳がある格好とは到底言えない。
しかし、この男こそが今乗る船の船長、イーギー・D・サンバードであった。


「またトトを怒らせたんですか?」
「おぉ、マルコか。船の点検はもう終わったがか?」
「はい、それはとっくに」


声に振り替えると、額にタオルを巻いた赤髪の青年、マルコがトトとすれ違うように此方に向ってきていた。
先ほどのトトはどちらかと言えば細身だったが、マルコのその体格は逞しく精悍だ。


「なに、時間が時間やき起こしに来てくれただけぜよ。マストの先っぽの見張り台までイビキが聞こえるわけがないじゃろ。素直じゃないのぅ」
「確かに、自分は仕事をしてるのに、足元で口空けて寝られると怒りたくもなりますよ」
「おんし等、最近ワシにちく(・・)と厳しくないか?」


船縁に凭れ掛かり、イーギーは困ったように笑う。
部下に注意され足蹴され、何度も繰り返すが船長らしからぬ態度にマルコはワザとらしく肩を竦めた。
――途端に、けたたましい鐘の音が船中に響き渡った。
何か危機が迫っている場合に鳴らされる鐘で、マストの上にある見張り台からだ。
警告の鐘だと瞬時に悟ったイーギーは、一番近くにあったパイプ電話へ向かい話しかけた。


「何かあったかトト」
『先に起こしといて良かったな! 二時の方向に船影! こっちに向かってきてる! しかも……奴の旗見て見ろ!』


パイプ電話から聞こえるトトの声はいつもの様に大きいが、確かに聴きが迫っているという焦燥が感じられた。
警告音を聞くと同時に、マルコが取ってきた単眼鏡をイーギーに手渡す。
単眼鏡を受け取りトトの言う方向を覗くと、まだ距離はあるようだが、一隻のスループ船が此方を向いていた。更に倍率を上げれば、トトの焦る理由も理解できた。


「あれは間違いなく海賊船じゃが、"赤旗"ときたか。脅しも無しとは、ぼっこな(危ない)奴等じゃなぁ」


海上の船に置いて"無地の赤い旗"が意味するのは、血。降伏を認めない容赦なしの攻撃宣告。
海賊の暗黙のルールとして、まずは海賊旗を見せて脅しをかけ、降伏するなら危害は加えない。それでも抵抗するようなら、赤旗を上げ攻撃するという了解があった。
だが目の前のスループ船は、略奪と殺意だけを手に襲いかかってきている。

そうこうしている間に船影は近付いてくる。
相手の船もキャラベルと同じ、風の掴みようで速さの出る船だ。が、迷っていればすぐ追いつかれてしまうだろう。


「大方、此の辺の海域をシマにした虐殺好きの集団じゃろ。こんなにこまい(小さい)貿易船を狙うなんて、案外肝のちっさい奴じゃか」
「どうするんですか、船長」
「なんちゃじゃない(どうってことない)。船も逃がさんで良い」
「ちょっと……貴方また――」
「敵さんは一隻、そう大きくもない。けんど、念のためマルコは舵を頼む。トトはニコリ連れて、人質にならんよう船室にはいっちょれ」
『はぁ!? 馬鹿にすんじゃねぇ!!』
「船長命令じゃ。ほら、大丈夫やき。すっと動く! あ、トト! おんし、よお赤旗の意味覚えてたのぉ! 褒めちゃる!」
『だから馬鹿にすんじゃ――』


反抗の声が聞こえてくるパイプ電話の蓋を一方的に閉め、イーギーは揚々と船長室へ急ぎ足に向かって行った。勿論戦闘態勢を取るためである。
デッキに戻った時にはブーツを履いてシャツを着替え、先ほどまで何もなかったはずの右腕が生えていた。が、それも只の右腕ではなかった。

鈍くも輝く金色の義手。
肩部分は鋼鉄版を重ねた鎧の様で重厚感があるが、左腕と太さはほぼ同じ。腕の節も曲がり、どういった原理か神経が通っているかのように自在に動く。
更に異様なのが指先。長さは普通の指の三倍はあり、ガントレットにも見える指は三本。長い楔の形をしているが、内側は鋭く研がれ、緩い曲線を描く鎌の様だ。
指と言うより爪、人の爪と言うより獣の爪に見える。


「待ってください!」


慣らすために義手の肩を回していると操舵室へ行ったはずのマルコが駆け寄ってきた。


「なんじゃ? そこまで止めるような相手がやないと思うんじゃが」
「いつも何言っても止めないから、止めませんよ。貴方の忘れ物です」
「……おお! ありがとう」


納得はしていないものの、諦めた様子のマルコが持ってきたのは一着の上着。長く着こまれているが、仕立てが良いので形はまったく崩れていない上質なものだ。
マルコの態度を知ってか知らずか、笑顔のまま礼を言って背を向けると、両肩に上着が引っ掛けられる。


さっきまでただの放浪者だった男から、"ヴィーナス号"の船長に変わる瞬間だ。

金の牡丹に金の刺繍の装飾が成された、軍服にも似た深紅のジュストコール。これがイーギーの戦闘着。
背を真っ直ぐに伸ばせばその背は高く、鍛えられた身体と背中は船の誰より凛々しく見える。


金の義手の所為で腕は通せないが、風を受けてはためく裾は旗――まさに、"赤旗"だ。


「そろそろ、あこの奴等ぁにも目で見える頃か。どれ……マルコ! 旗を上げろ!!」


船長の一声で勢いよく引かれたロープ。
掲げている必要が無かったために降ろしていたのだが、その所為で海賊が船を貿易船か旅行船かと間違えたのかもしれない。
だが、襲おうとする意志があるのなら勘違いも関係ない。向かってくる以上、此方も知らしめる必要があった。

マストの先端に辿り着き、風によって広がったのは黒い旗。
そして死を連想させる白い髑髏に交差した大腿骨が描かれた海賊旗だ。


「然らずんば、汝の運命かくの如し。ワシが乗る海賊船"ヴィーナス号"に喧嘩を売った事、ざんじ後悔させるぜよ!!」


柵に足をかけ、イーギーは悪戯に口の端を持ち上げた。
太陽は西へ傾き夜へ迫る。


さぁ、海戦だ!


此処は世界の殆どを海に囲われた島のアグリゲート。
新天地と資源を求め、海に出るのは人の摂理。
誰もが海に人生を賭ける中、更なる一攫千金を狙い、世界を渉ろうとする者達がいた。



エドワード暦742年。
海を愛し、海に恋する。此処は海に生きる者達の世界だった。