懐かしいと思うこともある。
苦痛だった昔がなんとなく。
「こーして、よく相手してもらったもんだねぇ」
「相変わらず僕が勝った功績はありませんけどね」
人差し指と中指で白駒を挟みながら何か懐かしげに笑ってみせた。
机の前でゆったりと椅子にもたれかかり、次の手の様子をうかがうのは遙。
普段通りの午後。
『暇つぶし』ということで遙がチェス一式を持ってきた。
チェスなんてまだ堅苦しい生活を強いられていた頃以来。
そういえばあれから一度もやっていないなと賛同したわけだ。
とくに午後の客は少ない。
「なまっていないようで安心しましたよ。腕は健在のようですね」
「あっは、そんなこと言われたらなんか照れるじゃん」
頭をかいて顔を赤くしながら、容赦なく黒駒をボードから突き出した。
「そーゆー遥はさー・・・あれ?そこでいいの?」
「対戦相手に口を挟むのはどうかと」
ゲーム終盤現在、白駒が優勢し遙の黒駒はもはや逃げ場の無い裸の王様状態に陥っていた。
しかしそれでも構わず、遙はまじまじとボードを見下ろす。
「ご機嫌とろうとしたって何もでないぞー」
「お構いなく」
にっこりと愛想笑いを返して遙は促すように掌を見せた。
納得のいかないまま、「んー」と首をかしげながらもルークの駒を手に取った。
「チェック」
「おや、また負けてしまいましたね」
だがそう大して残念そうな顔ではない。
それはさぞこれが当たり前だ、というような変らない表情だった。
「手加減したでしょ。いくら俺でもすぐには落ち・・・」
「いいえ?」
「・・・何故に疑問系?」
「僕はいつでも本気ですよ。いろんな意味で」
色んな意味とは。
優しいとき、嬉しいときに出るはずの笑顔がこれほどミステリアスに見えたことはない。
そんな風に見えることを可能にするのがこの遙である。
まるで全ての疑問を投げ返されて遠まわしに拒絶されるような見えないオーラ。
絶対零度とまではいかないが、多分零度。
「今日で68勝0敗32引き分け。100戦にして無敗伝説ここに誕生ですね」
「いや、イマイチ実感わかない」
苦笑い。
今作れるのほせいぜいそれだろう。
「言っとくけど、いくらおだてても木には登らないし、戻るつもりもないからね」
「おや、何故そうだと?」
チェスを片付ける遙の手が一瞬とまる。
しかしポーカーフェイスの彼は表情をまったく変えない。
「何となく。最初そうだったし」
「僕はそんなにしつこくてねちっこい野郎なんかじゃありませんよ。兄さんが嫌だと言うなら、それも仕方ないことですけど」
「なんか・・・俺がたしなめられてる?」
「気のせいですよ」
その笑みが痛いんだと、向けられた視線ををわざとそらすように顔を横に向けた。
それを知ってか知らずか、遙は肘を突いて行動をじっと見つめてくる。
あたかも「貴方のことは全てお見通し」というような視線が痛い。
「・・・それでは、僕はここで失礼しましょう」
「あれ、もう帰るの?」
「あまり長くお邪魔しているわけにもいきませんから。また暇な時にでも」
席から立つ彼の気品はいつ見ても廃れていない。
昔から何も変らない。
自覚は無いが、かつて上を行っていただろう自分が変ってからは、どうも遥に目が行くようになってしまったらしい。
ああ、絶対いつか勝てなくなる。
「また、お手合わせ願います。薫兄さん?」
名目上の立場から、関係の立場も逆転する日も近いのではないか。
そんな遥か先を予想しながら、薫は溜息とともに頭を垂れた。
さながらキング
―――時々、年下の筈の従兄弟がでかく見えるんだ
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さながらギャング(分けわからん