-Past of pain by kaoru Asano-



途絶えること無い血筋、途絶えさせてはならぬ血統。古来より交じりの無い血が最も正統とされ、より高貴なものであるという教えが伝えられてきた。
疑う事はない。誰もが認めるのだ。誰もがそう信じている。



許可を得た者のみが地を踏むことを許される。重々しく威厳さえ感じる門を潜り抜けることが出来たその先に、其処は存在している。
そこは、季節の流れと変わり目がうかがえる箱庭。東洋より生まれし文化を忠実に守り造られた寝殿。
この敷地を跨ぐことができるのは、澄んだ血を持って生まれた者と、認められた者のみである。
同じ世にあっても、その世界だけ壁の向こうの俗世とは違う清められた気が満ちている。

その壁の中に、俗世へ想いを馳せる少年がいつも独りいた。

誰からも望まれて生まれた子。
貴族の血を引く者たちが集うこの巣に生まれた、鶯のような淡い色を持つ子供。
ただ何故だか、その顔はいつも寂しげでした。


「おれって・・・贅沢者なのかな」


自身より他人を重んじ呆れられるほどのお人よし。その笑みはまるで邪を払うかのように明るく眩しかった。
そんな彼はかつてそこで生まれ育ち、そして一度全てを失った。

現在その地には、以前のような美しさも微塵も無く、壁も無い。






浅野 薫 ――― 籠の中の鳥だと信じて疑わなかった 没落以前貴族時代






培養が主流になる中、同じ血を持つリヴリー間から生まれた者は純血となり、貴族として繁栄していくことも少なくなかった。
混じりない血こそ優れた血である。その数ある家系の中で、血筋と財政を持った一族があった。
石の白壁の城とは違う鉄柵でもない古木の門構え。一度入れば枯山水の道が更に奥へ誘う。

そこに住む者たちこそ浅野一族。

代々黒犬の血を引き継ぎ、この血を引く者は皆澄んだ白銀の瞳を生まれながらに身につけていた。
この銀の瞳と家を受け継ぎ守るのは一族当主の役目。それを忠実に先代から受け、若くして継がれたのが現当主であられる。

そして、予てより縁を結ぶ契りであった同じ純潔一族の娘の間に生まれた御子こそ次の当主。
純潔の証である銀の瞳、春を知らせるような淡い緑の髪を持って生まれた鶯の子。
命を授けられた日は丁度、風の薫る夏の頃。



そこから名づけられた名が、薫。



銀の目を持つ赤子の男。
一族に遣える者、当事者もその子の誕生に喜んだ。

しかし生みの親は母親であるが、育ての親は殆ど乳母であった。母は常に当主である父の傍におり、父も家業で中々姿を見せに来ることが無かった。一日会わない日も、それが普通。
兄弟は出来ず、家に同じ歳の子供は居ない。
自分と同じ血が流れていると言う親戚の子には何度か会うことがあったが、それも半ば社交じみたものだった。



***



―――思えばずっと独りだった気がする。
例え植木の葉が色づいても、枯れ落ちて、箱庭が白く埋っても、桜が咲いてもまた葉が茂り始めても、決して門の外に出る事は無く只家の中から箱庭を眺めていた。
何度か隙をつき壁をよじのぼろうとしたこともあるが結局叶わない。

幸い習う事は大体覚えられる頭を持っていたらしく、厳しかったものの周囲は喜んでいた。

この御子は覚えが早く成長もとても早くていらっしゃる。
一族もまだ安泰であろう、と。


だが、いつからだろうか。自分がこの箱庭に"閉じ込められている"と思い始めたのは。


自分のこなすべき事は分かっている。毎日決められたことをこなしていくそれだけだ。
書道、華道、茶道の嗜み。大半それだけで一日が終わっていく。更に護身の為にと剣道、柔道の体術系も叩き込まれた。


ただ、一度だけ付き人に聞いたことがある。
上手く身につければ両親は喜ぶのだろうか?と。
もちろん、大層喜ばれますよ。
付き人はそう言ってくれた、それだけが心の支えだった。


極まれに外から聞こえてくる賑やかしい声は、大半は見回りのものが追い払っていたが、その度に庭に出ては独りそれを聞いていた。
自分は他とは違う、恵まれた環境に生まれたという。
その他というのを自分は知らないが、そんな"恵まれた環境"の中で更に他の世界を願うのは、贅沢な考えだろうか。



十年、変わることない日々は続き、これからも変わらぬまま続くだろうと思っていた。



***



この清涼な敷地に、泥が染み出してくるかのように彼奴等は現れた。
未だかつてそのような輩が此処に近づける場所でも、近づける場所でもなかった厳粛の空域に土足で上がりこんでくる不浄の者共。
身形からしても行儀を弁えることなく、何やら意味の分からないことまで吐き散らす。

その日から屋敷のものは騒然とし、御殿の空気は保てなくなっていった。



ことの切っ掛けは、浅野家現当主。



この屋敷に住まう者皆が尊敬し、強く、進んで遣う見習うべきほどのお人。
ただ一つ言うならば、出来たように人より人が良すぎるということ。親切ならば誰もが喜ぶかもしれないが、それも程度を過ぎると呆れに変わるものである。

当主は屋敷の誰よりも、妻のことも子供のことも従者のことも、大切な友のことも気にかけていた。
それが仇となってしまったのだろう。それとも、これ幸いと利用されたのかもしれない。

相手が困っていれば助けずにはいられない当主様は、ある日地を這いながら泣きついてくる友に手を差し伸べた。
その友人と言うのが、同じ貴族の繋がりではあったが周囲から見れば落ちた者。快楽に溺れ金に飢え、奴の家も半ば彼を見捨てているようなものであった。
まったく、仕方のない奴だ。
と、流石に眉を顰めた当主であったが、昔なじみの縁だと、進んで彼奴を支えた。

その男が、極道者と繋がってることなど知らずに。



彼奴は友人である当主を、浅野家一族を売ったのだ。

自分の背負いきれなくなった業、抑えきれない己の欲求、煩悩。
権力、財力をもつ友は必ず自分を助けてくれるという甘い考え、その甘い考えを”知らないで”、当主一人の考えで一族は糧にされたのだ。
準備のいいことに、逃れられない証拠の印まで押させた上で。



***



―――普段から鯉の水音、小鳥の囀り、草草の音しか聞こえない茶室に怒声が届いた。
この日の午後は、茶の師と茶たての仕方を学ぶ時間。茶道において静かな空間は必須、この時間内は決して誰も近づかない、誰も騒がない時間のはず。

その声は遠い、だがいち早く騒動に気づいた師は、まだ何も分かっていない自分を部屋の奥へつれていった。
師はその場にいた使いの女性に預け、声のする方へ向っていってしまう。

大きくなる怒声、聞いたことも無い罵声、響く喧騒、近づく物音。
そしてとどめに―――銃声。

声を押し殺していた従者も、免疫のない音に耐え切れず悲鳴を上げた。
訳の分からぬものこそ怖いものはない。自分だけ何も知らない、教えてくれない、そして何も出来ない独りの恐怖。止まらぬ心臓の早鐘。喉で詰まる息。

その時、身体ごと引かれ外に飛び出す自分達。
いくつもの襖を、今までおしとやかな姿しか見たことの無かったその従者が乱暴に開けはなっていく。
その間に、伝えられたこと。



「薫様の事は、我々"家族"が命を懸けてお守りいたします。どうか貴方だけは逃げおおせて下さい」



自分が本当に小さくて、まだまだ言葉も足りない頃。
自分に会いに来たという父から教えられたことがある。それも本当に短い時間の中であったが、何故忘れてしまっていたのだろう。



ここに住む者達は従者ではない 皆俺たちの大事な"家族"だ だから、皆決してお前を独りにはしないよ



この当主が只一つ、従者達に何度も言い聞かせていたことがある。
他人ではない、皆"家族"だと。身分の上下など関係ない、皆同じ大事な"家族"で、自分はそれを守る為に当主になったのだ、と。

だからこそ従者達は自分の一生を当主に託し、尊敬したのだ。

何故門番が出るなと止めたのか、まだ幼い子供が独りで外に出るのを止めない親などいるか。
何故師が厳しく叱るのか、怒るのではなく、相手を思い誤ったことを正すのだ。
何故付き人が恐ろしいのを承知で守るのか・・・自分の身にも等しい大事な"家族"であるからだ。





一度だけ付き人に聞いたことがある。
上手く身につければ両親は喜ぶのだろうかと。

もちろん、大層喜ばれますよ。
"・・・・・・それに当主様と奥方様だけでなく、私達も嬉しいのですよ。"

そう言ってくれていた。





自分はずっと独りなのではなかったのだ。
もちろん、いつも世話をしてくれる従者達を見下したことなど一度も無い。
だが本当の親だけでなく、親同然のように慕ってくれていた気持ちを何故見ようとしなかったのだろう。

でもそれなら何故、"自分だけ"逃げろと言うのだ。

従者は艶やかな着物で土の庭に飛び出して、そのまま裏の木戸へ幼い自分を押し込んだ。
その時、彼女の後ろから黒く不気味な手が伸び身体を引き寄せ、木戸が閉じられると同時、女性の悲鳴とその声を押さえつけようとする知らない男声。
木戸が開かれる事は無かった。倒れた身体を起して中に入ろうとしたが、その戸はもう硬かった。

震える声は出ない。
いくら叩いても、中の喧騒の所為で届かない。


「もう、戻ってきてはなりません」


別れ際、そう言われた。


憧れ続けていた外の世界、箱庭の外。
その夢は叶った。
でも、それと同時にもっと大事なものを失った瞬間だった。気づいて、失った。

その場から離れることもできず、建物の影でひたすら時間が過ぎるのを待った。夜になっても、日が白んでも。
これは罰だ。誰の気持ちにも気づかなかった自分への罰なのだと。


これが罰なら、いつまでも待つ。
だけどいつか必ず返してください。


何を言われてもいいから、どんなに怒られても構わないから。今となっては、もう外に出たいなど願ったりしないから。
思えばどんなに自分勝手な願いだったかと思う。
それでも、見つけて失った絶望は、そんな平常な考えなどできなかった。





お願いだから、頼むから・・・。


「独りにしないで・・・!」





手を振って背中を向ける父にさえ言ったことが無い言葉。
それを聞く者は、誰もいない。



***



季節は、映える木の緑が落ち枯れた木の冬。

浅野家一族の没落は貴族内でも話題に上げられた。
極道に関わっていたらしい、何とあそこはそんな野蛮な一族であったか、貴族の風上にも置けない。
そういえばあの当主も変わり者だった。

落ちて当然だ。



***



―――頼れるものは、もう居ない。
戻るなと言われても、家のなくなった子供が頼れる場所などなく何度も様子を見にいった。
手入れされることなく、日に日に廃れていく屋敷。
消えていく実感。

それでもあの"黒い人"に見つかることが恐ろしくて、誰にも見つからぬよう過ごして人間不信になりかけた。

唯一頼れそうな親戚の家も、どう連絡すればいいのか。
だが、またあの"黒い人"がやってくることを考えると頼るわけにはいかなかった。
きっと、また全てを奪いに来るかもしれない、と。

親も従者もどこへ行ったのか分からない。
あの事の起こり以来見つけることも出来ず、どうなったのかさえ分からない。



俺なんか、守らなくてよかったのに。
こうなるくらいなら、一緒に。



寂しかったら泣いてもよいのです その時は、こんな母でも思い出してください



消えてしまいたかった。
でもふと思い出した数少ない母の言葉に、裸足の姿のまま一人声を殺した。

そうだよ、独りだけど、独りじゃないよ。
そうやって自分に言い聞かせ続け、その間独りで生きてきた。
いつかまた会えると信じて。



そんな幼子が世間に出てこれるまでになるのは、はもう数年の時間を要した・・・。






浅野 薫 ――― 皆が忘れた頃、青空の下に変わり者の青年






それから数年後。

辺りの空気が変わり、その場から離れていく。
コソコソと何かを話し合って、そんな彼らが揃って見る方には、赤く、背の大きな男。
ひと目を避け、足をかばう様に独り進むその男の目は、周囲の人間を獣の様な目で見ていた。
近づくなと、自ら威嚇する異様な男に、誰が近づこうか。


だがその光景に疑問を持つ者が独り。


何を悩む必要がある。見るからに大怪我をした人を放っておけるのか。
あれは、ずっと独りで生きてきた目だ。


力なく座りこんだその人の前に走り、顔を覗く。よく見れば身体に染み付いた血の後や、消えずに残った細かい傷が目に付いた。
何故今まで病院にいかなかったのだと思うほど、酷い傷のつき方。
無知過ぎる自分には先入観も何もなく、その傷がどうやってついたのかも知らなかった。
だから、行き成り胸倉を捕まれ怒鳴られた時は、その怒気の篭った顔に肝を冷やしたものだ。


だが、それでも去る手を掴んで止めた。


しかし思ったよりも手の力が強くなってしまい、行こうとする男を引っ張る形になり・・・当の本人も相手も拍子抜けしたような顔になる。
その男に対する恐怖心はまだ残る・・・何故なら一瞬昔のあの喧騒を思い出したから。


それでも止めたのは恐らく、その背中が今にも倒れそうだったからだ。


「俺は薫。君と仲良くなりたいな!」


久しぶりに、少し照れたが自然に生まれた笑顔だった。
独りの理由は知らないけれど、独りの意味は分かる。
差し出した手は、少し迷ってもどちゃんと握られて、久しぶりの人の温もりに自分も温まった。

この人の手、こんなにも暖かい。

去る君に手を振って、また会えないかと声をかけた。返事は帰ってこなかったけど、いつかまた会える気がした。










人波外れた場所に、かつては美しかったであろう屋敷が一つ。

主が居なくなり、自然に溶け込んでいく石壁。
綺麗に綺麗に整えられてきた土の地面に、一輪の花が咲く。
屋敷内だけで愛でられていた桜の木は生長し、壁を乗り越えてその一輪に花吹雪をそそぐ。

時間は止まらず、流れるうちに命ある者は自然と成長するものだ。






誰が気づこうか。
昔、道端を裸足で泣いていたあの子の今に。

誰が思おうか。
閉じこめられた太陽が、自ら重い岩戸を開けるのを。



今、眩しいくらい笑っているのが、その子であることに。






浅野 薫 ―――それは独り、暗い岩戸から這い上がった眩しい太陽の光。






「ねぇ、デニ」
「ん?何だ?」
「俺ってやっぱり、幸せな贅沢者だよ」






←戻