-Past of pain by Danish Rond-





法律も正義も全てが馬鹿らしく思えるそこは、社会のクズだと言われたゴロツキ共ばかりが自然と集ってきた。
同じ考え方、同じことをする”仲間”を求めて彼等は此処へやってくる。

その所為か、そこはいつもジメジメしていた。



カツアゲ、暴力なんてものはザラで、喧嘩、盗み、人売り、麻薬に殺人。
固く砕けた壁の上の空は肩身が狭く、転がるのは哀れな腐敗臭と居場所をなくした嘆く命。
空気の悪いそこはいつも咽ている。

そこは世間に堂々と顔見せ出来ないような者達ばかりで溢れていた。
社会も秩序もそこを捨てた。
誰もが蔑み、嘲け目をそらし、邪険を押し付ける。
この世の荷物だと、くだらない奴等だと。



だがその裏社会に只一人、ゴロツキ共に混じって妙な奴がいた。



他の誰ともと決してつるもうとしない、馴れ合いを嫌う一匹狼。
そっちの世界にいるくせに、相手がどんなに多勢無勢だろうが卑怯だろうが、武器を使ってこようが、自分の身一つで真っ直ぐ向かってくる。
どれだけ殴られようが諦めやしない、負けを認めようとしない奴。

自分の信念を絶対に曲げようとしない奴。


「・・・全部、腐ってやがる」


星の光さえ見放したそこに、彼は立ち続ける。
高みから見下ろした地上は相変わらず廃れていて、初めて足を踏み入れた時から何一つ変わっていなかった。

そして何かが胸の中で、また吼える。










デニッシュ・ロンド ――― 全てを蹴散らし誰一人として信じようとしなかった 灰色の裏街時代。










喧嘩だけなら、ここのゴロツキを全員負かしてしまうのではないかというほどの強さを秘め、荒々しさは他の野郎達と引けを取らない。
彼に喧嘩を売ってきたという者は大体返り討ちにあった。
周囲を巻き込むほどの大喧嘩が起きたといえば、彼一人残して全員が地面に伏したという。

それほどの強さを持つのなら、もちろん狭いこのスラムにも噂は広まった。


恐ろしく喧嘩に強いやつがいるぞ、と。


噂だけ耳にしたものは馬鹿でかい大男を想像した。
しかし実際の姿を目にすれば、背が高いだけの若い青年で、体力自慢から見ればただのヤサ男。
だがそのヤサ男は大男さえも蹴り飛ばした。

向かってくる奴には容赦しない。
むしろ自分から向かってくる。荒々しい奴だ。



名前は、デニッシュ・ロンド。



男のくせにやたら長い髪で、その色は炎の赤より濃い紅。刺す様な瞳もまったく同じ色だった。
踊るように跳ねる髪、翻る赤い衣。
純な赤さえも、彼の前ではまるでは廃れるほどでかないやしない。
それに伴い、常に返り血を散らしている姿から、



”敬称”として「紅蓮」と呼ばれ始めた。



いつ頃からそう呼ばれるようになったのか。
敬称だというが、それは”嫌味”以外の何でもない。この裏世界ででしゃばりすぎた”不幸”な奴の目印に過ぎない。
必ず一人でのし上がり、彼の知らない合間に”名誉”という名をあげる。

だがそれも、彼に蹴落とされた者達が半ば大げさに言いふらした”嫉妬”に過ぎない。





―――自分でも判らない頃から此処へ通いつめ、気づけば離れられなくなった灰色のクズ社会。
まさにゴロツキの仲間入りだった。
平和ボケなんてクソ喰らえ、そんな奴らは甘ちゃん同士仲良くしていればいい。
そんなふ抜けた奴等にはなりたくはないと、毎日来るがまま喧嘩に明け暮れた結果だ。

ここで生き延びる為にするのではない、全てをひれ伏さんとしようとしているわけではない。
力は欲しい。
だが馬鹿みたいに求める気はさらさら無かった。


求めるがままに、拳がうずき、全てが感に触る。


弱いものにいちいち構っている暇はない。
へいこら一緒に肩を寄せ合って、弱いくせにホラをふきまわっている奴ならばそれ以上にうざったい。
虎の威を借りようとよってくる者も切り捨て、伸ばされた手でさえ、傷ついていようが払った。






これもあくまで噂の「紅蓮」の信念。
誰に言われたでもなく、彼は決してこれを曲げようとはしなかったことがある。


女と子供には手を出さない。
武器は使わない。


馬鹿げた只の偽善だ、自己満足だ。
その信念がまるで弱いものに対する手加減にしか見えないと、口々に広まった。

強いくせに、何の目的も無いくせに他の奴等を蹴落として。
同じムジナに住む社会のお荷物のくせに、一緒にするなだと?偽善者気取りか?ふざけるな!!





この世界の暗黙の了解。
出しゃばるものには制裁を ――― それは全てのゴロツキ共を敵に回すことを意味していた。





うまく挑発に乗せれば奴は面白いほど乗ってきた。
奴に”仲間”なんて者はいない。

こちらがどんなに大人数だろうが構わず一人で向かってきた。女を差し向ければ本当に奴の言う”信念”の通りだ。
武器を向けても怯むことなく、寧ろ上等だと言ってさらにヤル気を増しやがる。

馬鹿正直な奴だ。愚かな奴だ!





それからしばらく経ってからだ、彼が己の姿を隠そうとするようになったのは。





いつもと変らぬ風景だ。

ざらついた灰色の壁に挟まれた一本道の路地。
その中央に相変わらず一人、逃げ場を失った風に緋色の着衣を翻されながら彼は真っ直ぐ立っていた。

此処に「正々堂々」の精神など存在しない。
挟み撃ちなんぞ日常茶飯事で、馬鹿の一つ覚えかと言うほどに仕掛けられたものだ。

何故そんなにも自分に執着するのかが解らない。
気に食わないのなら逆に構ってくれるなというのが最近の本音だった。


誰かが笑い、自分も返す。
それが合図だ。


慣れすぎた多勢に無勢。
向かってきた奴から適当にあしらうが、此処もそう甘くはない。自分と同じように生きてきた、そんな奴だっている。
甘い考えで入ってこようものなら、一日として生きられないそんなところだ。
こちらが不利な状況なのに変わりはなく、自分と違って信念を持たない奴の手には刃。

翻すたびに散る、赤い花弁。
それが”敬称”の由来になっていることなど、彼にとっては別にどうでもよかった。

自分の体の自由が利かなくなったと思えば、後ろから三人、腕と腕と両足の枷。
後ろからの羽交い絞めなど、それこそ日常茶飯事で今更恐れるに足らない。



だが、その時の自分はまだ自分を”信じた”ままだった。
つまり、此処がどこであるかを忘れて油断していたわけだ。

その一瞬を突かれた。

刹那、腹部に激痛が奔り、先ほどまで対峙していた顔がすぐそこにあった。
己を差し出すように押さえられた体。落とした視線の先で、貫いてやろうかというほどのダガーが腹を抉る。



「死にさらせ」



耳元で囁かれたその言葉が喘ぐ自分に届く。

その傷をさらに開かせるよう引き抜かれた傷口からは、自分とよく似た色の血潮があふれ出し、灰色の地面に垂れ流れた。
流石の痛みにふらつく体を蹴倒され、下手をすれば致死量に達する血の海に落とされる。
視界の最後に入ったのは、銀色に煌いていたであろう刀身が赤く染まっていたこと。
散った返り血を舐める裂けた笑み。

その背中の傷を踏まれ嘲笑う声を聞いたのが、意識の最後。


見下ろすな、見下すな。
邪魔だ、失せろ、消えろ、俺に構うな!!

言いたいことが沢山あっても、歯を軋ませるだけに終り・・・





―――それから何故助かったのかは覚えていない。
今更だが、自分を助けるような馬鹿はもうここには居なかったはずだからだ。

目を覚ませば、痛みは残るものの手当てされていた身体に気がついた。
だがすぐさまにその場から立ち去った。

どうせ余計なことに巻き込まれるのは間違いなさそうだったから。





それが何のきっかけとなったのか、以来彼の前には命を狙う歪んだ殺気を持った奴等が現れるようになった。
元々気に食わなかった野郎だと、殺意の芽生えたものは一人や二人ではない。

この世界に居る限り、周囲は全て敵。
最初から味方などいない彼に選択肢はなかった。

信じるものなど、信じられるものなど、必要ない。





その時に初めて、一度目。
自分が生まれたはずの姿から、薬によって己の姿を変えた。





おかげで暫くは気づかれなかったが、それも甘い一時しのぎ。
以前とあまり変らなかった特徴と喧嘩性の所為ですぐに勘付かれ、また命を狙われた。

それから何度も何度も、何度も。
狙われる回数が増えてくる度にその回数も増えてた。

気づいたころにははもう、自分の元の姿さえ忘れてしまっていた。





いい加減精神も参ってきたときに思うことといえば、
自分は一体誰なのか?何の為にここにいるのか?何故命まで狙われるようになったのか?
そんなガキの様に繰り返す疑問だった。

わからねぇ。

気づいたときには壊れたように笑い出していて、やはり喧嘩にはしる。
自分にはもうこれしかないのだと思っていた。



こんな自分が生きていく道など。
灰色に染まった体など。



落書きだらけのこの街でいつかくたばる。
きっと寿命で死ぬことは無いだろうと確信していた。

そんな自分に嫌気が差した。
それでも体に染みこんだ意地がそう簡単に認めるはずはなく。





月日が巡り雨が降る。
この世界の汚い空気を吸った、ここの住人にお似合いの灰色の雨が。
何度も同じことを繰り返し、時が経つということを忘れるほどに。

そんな彼に、想像も予知も予感もしていなかった転機が起きるのは、それからまた暫く経ってからだ。











デニッシュ・ロンド ――― 自分が信じた己を変えられた 澄みわたる空の縁。











己の中で何者かが囁く。

楽になりたいのなら、さっさとくたばってしまえばいい。
お前は堕ちた紅い花。自ら影を好み、自ら枯れるようなことを選んだ一輪。
枯れ果てる前に踏みにじられた、太陽に見放された馬鹿な花だ。

黙れ。そんなことは承知している。
俺に構うな、さっさと失せろ!

同じことの繰り返しがどのくらい続いたことだろう。
それさえ忘れてしまうほど時間が流れた。
相変わらず路地裏はゴロツキ共に占拠されていて、世間は見放すどころか、存在さえ忘れかけていた。



それなのに、疎くつきまとう”不幸”の称号。



いい加減、逃げ出したかったのかもしれない。
全てを捨て、何もかも忘れて。

結局最後まですがったのは、喧嘩という現実逃避。
何も考えなくてもいい。疑問を投げかけることも忘れられる。




何もかも傷ついた体で這いずり回り、ただ同じ壁が続く道を辿っていった。

だが自覚しようとしなかった。
どれだけ自分が傷ついていたのかを。

分かるのは先ほど負わされた外傷のみ。
腕から伝い地面に滴るそれを、彼の紅い瞳はうざったそうに見下ろすだけだった。





久しぶりに踏み入れた”表”社会。





人々は不審な横目で彼を見た。
彼もまた、睨み返した。

雑踏の中から聞える話しが嫌でも耳に入ってくる。
それが裏街にいる野郎共の噂話となんら変らなく聞えて、唸り出しそうになる拳を何度も押さえた。
噛み締める唇の痛みに集中した。

早くここから出ないと、駄目になる。

引きずる足がたどり着いたのは、何も無い殺風景な場所。
人々が止めどなく出入りし、誰もが彼に目を向けそして逸らした。

よりによって、余計に目立つ場所に彼はいた。

とにかく、再起不能になる前にこの傷は如何にかしなくてはと、使い古した包帯で腕をしばった。
逆に開いてしまうのではないかというほど強く。

誰の手助けも無用。
頼むからこっちを見るなよ。気にとめてくれるなよ。





そう願った、その時だ。





目線を上げた先に、目が二つ。
それは自分の物とは対照的なほど澄んだ銀色をしていて、真っ直ぐこちらに向けられていたのだ。


ここまで近くに来られていたというのに、気配にまったく気づけなかった。
何故か、という疑問の前に、頭が真っ白になっていた。

軽蔑の目でこちらを見て、近寄りもしない他の奴等とは違う。
わざわざ近づいてきて、同じ目の高さでこっちを見ている。
逸らす気などさらさら無いようだった。

あまりの出来事に呆然としていると、その目の前の少年は何かを言っていた。抜けて、まだ幼さが残ったそんな面で。
酷く慌てた様子で、それは自分の傷に対するものだった。

そういえば負傷しているのは腕だけではなかった。
ロクに手当てもされず、放っておかれた古傷と服の破れと返り血。

今まで”心配される”ことが無かった彼は、その行動に不審を抱く。



とんだ馬鹿げた奴だ。
”同情”をかけるほど余裕を気取っているのか、上辺で騙せ思うなよ。


「てめぇみたいな奴が、一番頭にくんだよ!!」


ようやく我に帰り、その近い胸ぐらを引き寄せ言い放った。

弱いくせに他人に構おうとするな。
俺に構うな。



何故こんな歳の離れた子供にまで嫌気が差すのか。
自分でもわからなくなっていた。

こんな餓鬼にやつあたりをするなんて。

自分がおかしくなる前に、固めた表情のままの少年を突き放した。
もう二度と近づくなと言うように。

自分はこうでなくてはいけないと、決め付けた。
そしてまだ、自分が同情されるほど弱いのだと、痛感したような気がしたのだ。
世の中には自分のような奴にも情けをかける奴がいる。


感心して、呆れた。


だからこれ以上繰り返さない為にも、早々とその場から立ち去ろうとした。
傷が痛むが、それよりも、ここから逃げ出したかったのだろう。





今までずっと、その後誰一人として彼を追いかけようとする者はいなかった。
彼もまた追いかけてくるとは思わなかった。





だからまさか。
突き放したはずの少年がまた自分の手を握ろうとしたなんて、想像も出来なかった。

今までどんな攻撃も避けることができた体が、そうはできなかった。





見上げる銀色の目は、先ほどとはまったく違って真剣で、傷だらけの片手を両手で強く握り締めていて。
もう二度と離さないのではないかという位に強かった。

あまりの出来事に、彼も、少年も、驚きを隠しきれていなかった。

その時自分がどんな顔をしていたのか、それは目の前にいた少年しか知らないだろう。
きっと、喧嘩に負けたような顔をしていたに違いない。それも、あっさり。


少年は自分も何故手をとったのか分からず慌てふためいていた。
ただそれでもその手を離そうとせずに、むしろ強く強く、握り締めて留めようとしていた。





そして、その照れを隠すように、「紅蓮」に笑いかけた。





何故だ、何故俺に構う。
あんなことを言われて、何故そうも”笑って”いられる。

何故、そんなにも、優しい顔をする ――― ?





そして不意に握られていた手は離され、また差し出されたのだ。

今までの彼ならば、容易くその手を払いのけることも出来ただろう。
だが動けずに、その手をじっと見るしか出来なかった。
もう握らせまいとポケットに突っ込んだ手は、未だ中に入ったままで。





自ら薫と名乗った少年は、「紅蓮」に変らぬ笑顔を向けた。





今まで一度も、彼に”笑顔”を向けたものなどいない。
それは全て偽りであって、信じるに値しないもの。
笑顔など作り物でしかない、と。相手を騙す道具に過ぎないのだという確証もあった。

だが、今それを目の前にして、そうとは言えない自分がいた。





そして「紅蓮」は差し出した。
己の傷だらけの手を、その少年の白い手に向けて。





そして自ら手を離し、その後は一度も振り返ろうとしなかった。
背後から「いつもここにいるの?」と聞かれた気がしたが、その質問にも答えなかった。
踵を返し少年に背を向ける。

彼は追いかけてこなかった。
だがずっと後ろにいた。





ずっと見送られていた。





そして「紅蓮」は、不意に空を見上げた。

その日に限って青く澄んでいて、その日に限って雲一つなくて。
もう何年も見ていなかった空は晴れていた。

なのに一滴だけ頬を伝う澄んだ滴は、地面に吸われて跡形もなく消える。










「― ああ、」

傷はようやく、カサブタだ。










その後の「紅蓮」を、裏世界の住人は知らない。

裏路地出入りしている回数も減り、奴にやられたという話も少なくなった。
極たまに見かけることもあったが、ほとんどめっきり、姿を現さなくなったそうだ。










誰かがこう噂した。

紅蓮は堕ちたのだと。



誰かがこう噂した。

紅蓮は太陽に魅入られたのだと。










デニッシュ・ロンド ――― それは一度だけ泣いた紅い蓮の花。










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